2009年6月5日金曜日

青猫がデモに参加する理由

チャンネル桜さんが主催されているデモに参加しているわけですが、
その理由は、大変個人的ないわば私怨です。
私の祖父は教員になってから単身台湾に渡り、台北近郊の公学校で教えていました。
そう、あの番組で酷い扱いをされていた公学校です。
まるで差別の温床の様に、台湾人を隔離していたかのように描かれていました。
しかし、実際の祖父の話、教え子の皆様の話、当時の写真等を見聞きしていた私には
あの番組は大変なショックであり、祖父を侮辱されたと感じました。
もちろん教え子の台湾人の皆さんも、です。

当時の祖父は若い熱血教師で、勉強の出来る子は家に呼んで教えてやり
飛び級させて本土の学校へ行かせたりしたそうです
また、大変厳しい教師だったそうです。
戦後何十年も経ってから台湾に行ったとき、立派になった教え子達が
何台もの黒リムジンで空港まで迎えにきて先生、先生と慕っているので
同行した当時の祖父を知らない人が、
「こんなに慕われるなんて、○○さんはよほど優しい先生だったんでしょうね。」
と生徒さん達に聞くと
「とんでもない!○○先生くらい怖い先生はいなかった!」と全員が答えたそうで・・・(笑)

祖父は台湾で出会った祖母と結婚し、母も台湾の家で産まれました。
父親、兄弟ともに内地で校長まで勤めていて、日本にかえれば校長の椅子が待っているのに
外地へ飛び出した祖父。祖父は台湾に骨を埋めるつもりだったのかもしれません。
ちなみに戦後、祖父は教師を辞めました。
墨塗り教科書で「今まで教えてきたのは嘘でした」などと教える事は出来ないと
用意されていた役職の椅子を蹴って、家族を連れて地元を離れました。
私の無鉄砲さは祖父譲りかもしれません(笑)

母から聞いた話ですが、朝礼の最中祖父が朝礼台の上で話しているときに
生徒の何人かがちゃんと聞いてなかったそうなんです。
それで、祖父は生徒全員を校庭に正座させました。もちろん祖父も台上で正座です。
困ってしまったのは、校長以下並んでいた先生方。
「○○先生が正座されていますし・・・」「しない訳にはいかないでしょうなぁ・・・」と
全員が校庭に正座したそうです(笑)
朝礼が終わったあと、教頭先生から「○○先生、もうああいうのは勘弁してくださいよ(笑)」と
注意されたとか(笑)

敗戦後、引揚の時も大切な家畜の豚をつぶして甘辛く煮た保存食にして持たせてくれたり
台湾の人達には大変良くしてて頂いたそうです。
戦後も日本に来た折には必ず祖父の所に会いにきたり、手紙を沢山送ってくれたり
交流は祖父が死ぬまで続いていました。

はたして、「差別され無理やり日本人にさせられた台湾人」が日本人の教師に
戦後何十年も続くような暖かな気持ちを抱くでしょうか?
台湾人はバカではありません。NHKは人の気持ちというものがわからないのでしょうか?

私はNHKを解体しろとは思っていません。
NHKにしか出来ないすばらしい自然科学系の放送もありますし、
素晴らしい撮影技術を持っています。
ただ、日本と台湾の友情を引き裂き、中華人民共和国におもねる非道を非難しているのです。

NHKさん。どうか私の祖父に謝ってください。教え子の皆さんに謝ってください。
自分達が何をしてしまったのか、良く考えて反省し、謝罪を公の場でしてください。
お願いします。

1 件のコメント:

  1. そうなんですか。

    実は、中国大陸でもそういう立派な先生はいたみたいで、
    私の友人のご母堂(故人)ですが、
    北京(天津だったかも)で教師をされていて、
    貧しくても優秀な生徒には色々と援助していたそうです。

    その後、その教え子の一人は大学まで出て、
    ある大学の学長までになったそうです。

    もう何年も前に、成功したその教え子は、
    かつての恩師の消息を尋ねて日本に来たとかいう話でした。

    本当はこういう話、中国でも朝鮮でもたくさんあると思うのですが。
    国情の違いからか、日本の恩師に感謝する声を上げる人はあまり聞かないですね。

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